工業会の歴史
年表
会員数 | 会長 | HCP社長 | 総会会場 | トピックス | 社会情勢 | ||
設立 |
1982 (昭57) | 38社 | 夏井末蔵 | 平野 功 |
東京 (ホテルパシフィック) |
中曽根内閣誕生 東北上越新幹線開業 | |
1回 |
1983 (昭58) | 51社 | 〃 | 〃 |
東京 (京橋会館) |
ミリオネート会報 創刊号発行 | 大韓航空機墜落 |
2回 |
1984 (昭59) | 54社 | 〃 | 〃 |
宮城 (ホテル松島大観荘) | 地区協議会活動開始 | |
3回 |
1985 (昭60) | 54社 | 〃 | 増渕義一 |
長崎 (矢太樓) | ドリーム工法(脱気工法)の普及 |
プラザ合意 円高不況 日航ジャンボ機墜落 阪神優勝 |
4回 |
1986 (昭61) | 54社 | 長和伸年 | 〃 | 福井 (仁泉) |
JR誕生 チャレンジャー爆発 チェルノブイリ事故 |
|
5回 | 1987 (昭62) |
55社 | 〃 | 〃 | 北海道 (札幌ローヤルホテル) |
JASS8改正 メンブレン防水 |
竹下内閣誕生 ブラックマンデー |
6回 | 1988 (昭63) |
55社 | 〃 | 〃 | 香川 (琴平グランドホテル) |
ワンデーフィニッシュ の発売 |
平成バブル景気の始まり |
7回 | 1989 (平1) |
57社 | 〃 | 〃 | 大分 (鉄輪・ホテルあしや) |
消費税導入 海部内閣誕生 冷戦終結宣言 ベルリンの壁崩壊 |
|
8回 | 1990 (平2) |
67社 | 〃 | 〃 | 新潟 (佐渡・八幡館) |
原料高騰 ミリオネート製品価格改定検討 |
湾岸戦争勃発 |
9回 | 1991 (平3) |
69社 | 〃 | 伊藤正巳 | 三重 (新賢島荘) |
実務担当者懇談会の開催 HCスプレーの発売 |
バブル崩壊不況 宮沢内閣誕生 |
10回 | 1992 (平4) |
73社 | 〃 | 〃 | 北海道 (函館湯の川プリンスホテル) |
10周年記念品の配布 HCパークの発売 |
牛肉・オレンジ 輸入自由化 |
11回 | 1993 (平5) |
72社 | 八島祐治 | 〃 | 宮崎 (プラザ宮崎ロイヤルホール) |
技術委員会の設置 | 総選挙自民党過半数割れ 細川内閣誕生 冷夏・米輸入 |
12回 | 1994 (平6) |
75社 | 〃 | 〃 | 盛岡 (ホテル紫苑) |
保土谷建材本社移転 | 村山内閣誕生 |
13回 | 1995 (平7) |
73社 | 〃 | 小田切信 | 島根 (米子・グランドホテル天水) |
HCエコプルーフの発売 業務委員会の設置 |
阪神大震災 地下鉄サリン事件 |
14回 | 1996 (平8) |
70社 | 渡邊 隆 | 〃 | 滋賀 (瀬田・臨湖庵) |
ミリオネート工業会に改称 支部体制の構築 |
住専破綻整理決定 橋本内閣誕生 |
15回 | 1997 (平9) |
70社 | 〃 | 〃 | 神奈川 (横浜・ホテルニューグランド) |
15周年記念行事 | 山洋証券、山一証券、 北海道拓殖銀行倒産 |
16回 | 1998 (平10) |
70社 | 〃 | 丸山和雄 | 長野 (戸倉上山田・ホテル清風園) |
ミリオネートQ&A100発行 拡販協力金制度の実施 |
小渕内閣誕生 |
17回 | 1999 (平1) |
70社 | 〃 | 〃 | 福岡 (二日市温泉・大丸別館) |
支部体制再編成・7支部制に | ユーロ単一通貨導入 |
18回 | 2000 (平12) |
80社 | 山崎範男 | 〃 | 北海道 (登別・ホテルまほろば) |
企画委員会の設置 工業会ホームページの設置 |
森内閣誕生 そごう民事再生法適用申請 |
19回 | 2001 (平13) |
87社 | 〃 | 滝口浩二 | 東京 (メルパルク東京) |
ミリオネートQ&A100改訂 |
小泉内閣誕生 米穀同時テロ発生 |
20回 | 2002 (平14) |
90社 | 〃 | 高岡秀夫 | 北京 (京瑞大厦ホテル) |
20周年記念行事 北京記念総会 技術研修会実施 |
北鮮拉致被害者5名帰国 ノーベル賞ダブル受賞 |
21回 | 2003 (平15) |
106社 | 〃 | 〃 | 沖縄 (ルネッサンス沖縄) |
第1回技術研修会実施 | イラク戦争勃発 自衛隊イラク派遣 チャレンジャー爆発 |
22回 | 2004 (平16) |
120社 | 吉田峰雄 | 吉田輝信 | 京都 (湯の川温泉・松園荘) |
駐車場工法、防触被覆工法、認定制度開始 5支部体制に改組 |
イチロー大リーグ最多安打 日本球界再編 中越地震 スマトラ沖地震 |
23回 | 2005 (平17) |
136社 | 〃 | 〃 | 三重 (長島温泉・ホテル花水木) |
ミリオネートQ&A100改訂 ミリオネート名入り防寒着配布 |
JR西日本脱線事故 アスベスト健康被害 耐震強度偽装事件 |
24回 | 2006 (平18) |
138社 | 〃 | 〃 | 神奈川 (箱根湯本・ホテル河鹿荘) |
合同支部会にて構造に関する講習会開催 ミリオネート名入りカラーブルゾン配布 |
阪急HDと阪神電鉄の経営統合 敵対的TOB、M&A急増 世界的な異常気象が観測 ゼネコンの談合問題が発覚 |
25回 | 2007 (平19) |
148社 | 〃 | 〃 | 台湾 (台北・シーザーパークホテル) |
第1回調査報告書研修会実施 25周年記念お天気時計配布 |
食品偽装問題 福田内閣誕生 |
26回 | 2008 (平20) |
154社 | 坂本 理 | 〃 | 宮城 (秋保温泉・ホテル左勘) |
第2回技術研修会実施 | 100年に1度といわれる金融危機 原油や原材料価格の高騰 |
27回 | 2009 (平21) |
153社 | 〃 | 小花公男 | 北海道 (洞爺湖万世閣・ホテルサイドテラス) |
新型インフルエンザ流行 | |
28回 | 2010 (平22) |
151社 | 〃 | 〃 | 岐阜 (下呂温泉・水明館) |
「立上り施工」DVD作成 技術講習会実施 |
東日本大震災 はやぶさ帰還 |
29回 | 2011 (平23) |
154社 | 〃 | 〃 | 東京 (アジュール竹芝) |
技術講習会実施 | 地上アナログ放送終了 なでしこジャパンワールドカップ優勝 |
30回 | 2012 (平24) |
152社 | 〃 | 〃 | 千葉・ハノイ (成田東武エアポート・ベトナムハノイ) |
30周年記念デジタル膜厚計配布 技術講習会実施 |
東京スカイツリー開業 ロンドンオリンピック開催 |
31回 | 2013 (平25) |
155社 | 〃 | 〃 |
広島 (宮島グランドホテル・有もと) | ||
32回 |
2014 (平26) | 153社 | 〃 | 西川範夫 |
熊本 (阿蘇プラザホテル) | ||
33回 |
2015 (平27) | 156社 | 〃 | 〃 |
島根 (佳翠苑 皆美) | ||
34回 |
2016 (平28) | 155社 | 〃 | 〃 |
東京 (東京グランドホテル) | ||
35回 |
2017 (平29) | 149社 | 〃 | 鈴木光春 |
東京 (羽田空港ギャラクシーホール・ ミャンマーヤンゴン) 35周年記念防災用品配布 | ||
36回 |
2018 (平30) | 147社 | 神山光司 | 〃 |
兵庫 (神戸メリケンパークオリエンタルホテル) Q&A100改訂 | ||
37回 |
2019 (令1) | 151社 | 〃 | 〃 |
青森 (南部屋海扇閣) ウレタン塗膜防水ハンドブック(NUK発刊)配布 | 第1回凄極膜研修会実施 | |
38回 |
2020 (令2) | 149社 | 〃 | 〃 | 書面決議 | 新型コロナウイルス感染症流行 | |
39回 |
2021 (令3) | 145社 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | |
40回 |
2022 (令4) | 139社 | 〃 | 〃 |
沖縄 (ノボテル沖縄那覇) |
第2回凄極膜研修会実施 第3回凄極膜研修会実施 | W杯日本代表16強 |
41回 |
2023 (令5) | 141社 | 〃 | 〃 |
福島 (母畑温泉八幡屋) |
第4回凄極膜研修会実施 第5回凄極膜研修会実施 |
WBC14年ぶり優勝 新型コロナウイルス感染症「5類」移行 |
42回 |
2024 (令6) | 141社 | 〃 | 〃 |
鹿児島 (ホテル・レクストン鹿児島) |
対談
25年を振り返って ~はじめに~
ミリオネート工業会創立20周年にあたり、会の創設当時から黎明期のウレタン防水剤の普及にご尽力頂いた会の役員の方々と、 メーカである保土谷建材の歴代社長をお招きし、お話を伺いました。
ミリオネート製品の製造メーカーである保土谷建材は、総合化学メーカーである保土谷化学の建材部門が昭和53年に独立して出来た会社です。ウレタン防水材は、保土谷化学が独自のイソシアネート技術を活用し、昭和43,4年頃、タールウレタンのシーリング材という形で世に問うたのが始まりです。その後本邦初のウレタン塗膜防水材として発展する過程で、普及に大きく寄与してきたのがミリオネート工業会(旧称 ミリオネート会)です。
- [元会長] 八島 祐治
- [理 事] 夏井不二江
- [元社長] 小田切 信
- [前会長] 渡邉 隆
- [賛助会員] 石塚 正晴
- [前社長] 滝口 浩二
- [前理事] 坂本 武雄
- [元社長] 平野 功
- [会 長] 丸山 和雄
- [会 長] 山崎 範男
- [元社長] 増渕 義一
- [事務局] 安藤 俊春
- [前会長] 吉田 峰雄
- [元社長] 伊藤 正巳
- (敬称略)
25年を振り返って ~対談~
まずは、会員サイドから黎明期の思い出を一言・・・
「私は創設当時から、ミリオネート会の催しにはすべて参加しております。以前に日本レヂボンのレヂボン会がありいろいろありましたが、それが発展的に解消しミリオネート会が出来ました。初代会長の夏井さん、2代会長の長和さんはお亡くなりになりましたが、歴代の会長さんには賛助会員として公私ともども可愛がって頂いた思い出があります。」
「若い頃から保土谷の社員のような気持ちで、カタログ持って歩いていたので、今更よそへは行けない。先ほど設立総会の写真を見たら自分もさすがに若く、さぞかしドライバーも飛んだろうなーと思った。
正直言って、ミリオネート会に入って失敗したと思ったこともあった。昔の保土谷は役所みたいな処があったから、若い頃はどうかと思うこともあった。ドリーム工法(脱気工法)が出て、世間の評価も変わり自分もやる気が出た。今は会員数も増え、自分の事のように嬉しい。本当にミリオネート会に入っていて良かったと思う。」
「東京から仙台に都落ちした時、ミリオネートのサンプルを見せられてこれは素晴らしいと思った。ところがどっこい、なかなかそうはいかなかった。保土谷さんの王子の研究所にも通って勉強したが、上手くいかずに言いたくない文句もかなり言ったと思う。今こうして、昔の理事仲間と再会できて感無量です。」
「今日、ミリオネート会の年表を見て、100社に迫るような会の発展振りは本当に嬉しく思う。当時の理事会ではここにおられる理事さん達と、活発な意見交換をしたことを懐かしく思いだす。初期の頃からミリオネート会は纏まりが良く、協調性もあり会合にもみんな喜んで参集していたと思う。」
「今振り返ると、レヂボンバカと思われるほどウレタンに惚れ込んできた人生でした。北海道レヂボンの夏井社長とは、北海道と、九州と両方から日本を制覇しようと、励まし合っていたのが昨日のように思われます。長崎は離島が多く、工事も大変であったが五島の役所工事を軒並み取ったのは想い出です。」
「保土谷とのつき合いは30年になる。日本レヂボンの在庫を引き継いだ事が縁で、防水の世界に入った。当時の防水から比べると現在は品質、技術とも格段の向上であると思う。長い間、保土谷とは親戚以上の付き合いとしてやらして貰ってきた。そういった間柄が今日の会員数の増加に繋がっているのかとも思う。」
「日本レヂボン時代から、30年お世話になっています。主人は脱サラで、東京へ出て、防水屋が良かろうと日本レヂボンの門を叩いた。そして北海道レヂボンの名前を貰って、札幌で事業を始めました。主人が営業をして、私は職人一人とトラックにプライマーからすべてを積んで走り回りました。当時はウレタン防水に対して札幌では全く理解がなく、何度も嫌になって止めようと思いました。ゼネコンからお風呂の工事一つ貰ったのがとても嬉しかったことを覚えています。
その後、ミリオネート会が出来、わからないことがあれば教えて貰い、以来ずっと保土谷さん一筋でお付き合いさせて頂いています。」
雑談の中から、当時の苦労話などを・・・
「いまは時代の流れから、生産中止になってしまったが、昔のSA(黎明期からウレタン防水材を支えたタールウレタン)は良かった。20年間全くクレーム無しであった。少し厚塗りすれば、風呂などの水回りでは最高でした。」
「爪がいつも真っ黒になり取れなくて困ったけどね。」
「SAが出来たからウレタン防水があったと言って良い。大阪万博のシンボルタワー太陽の塔にも使用されました。」
「他社の防水材はクレームが多かったから、保証書なんか出したくない時代であったが、ミリオネート製品には自信があったから、保証書をどんどん出していたら、県の防水協会からは嫌われて、5年くらい入れて貰えなかった。そんなこともあり、はじめの2,3年は苦労したが、その後は設計に入れたことが生きてきた。長崎の小学校などは殆ど、うちのウレタン防水だった。うちしかやっていないので役所が全部うちにくれた。」
「保土谷の売り方は一言で言うと殿様商売であったが、反面家族的なつき合いが魅力でもあった。最近では保土谷の後を追ったメーカーが結構台頭してきて、私たちが努力してウレタンを認識させたところで、あぶらげをさらわれたような感じもある。」
メーカーとしてもこれまで前例のない分野での仕事に、試行錯誤していました。メーカーの歴代社長から一言ずつ・・・
「はじめは保土谷のウレタンの用途開発は、シーリング用途を狙っていた。それをより量が売れるようにと防水材用途を考えた。文献を調査すると、当時の塗膜防水に比べて性能が良いことがわかった。保土谷の売り方は緩んでいる…それがいいと言われた。他社のようにがめつく売らなかった。それが雰囲気が良いと言われた。普及段階では普通の材料売りでないやり方だった。設計事務所に説明して、メーカーが直接塗っていた。工法を売っているようなイメージだった。私たちは自分で行って塗っていた。
建築を知らない素人が始めたので、はじめは大変だった。」
「技術的にいよいろ試行錯誤しているときに、かたや営業部門では量を売らなくてはならないことで苦労した。」
「根っからの技術出身で、お客さんとのつき合い、ものの売り方などわからなかったので、苦労した。反面、技術面では、HCスプレー、パーク、そしてエコプルーフと開発には力を注ぎ成果を上げた時期と思っている。今後もニーズを的確につかんで、製品化する力を持ち続けて欲しいと祈念しています。」
「営業出身者から社長になったのは、初めてだった。品質が良くて、値段が安くて、営業マンのフォローが大事と感じた。この建材業界は通常の化学製品の商売とは違うと思った。当時、エコプルーフが登場し、製品的には良い時代であったが、施工技術というソフトウエアーが大切と思った。」
「マーケットは大きな変化をしている。この業界も他社の動向を注視しなければならないが、今日諸先輩のお話を伺っているミリオネートの財産はこれから大きく花開くであろうと期待している。設計活動の重要性を認識L、押し進めてきた。これからは土木分野への展開も視野に入れている。」
「建材を離れて思うことは、この様な素晴らしいパートナーと仕事をしてきたのだという事実です。大変な時代ではありますが、これからもミリオネートエ業会の発展をお祈りしています。」
☎ 03-6852-0478